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東京地方裁判所 昭和47年(レ)163号 判決

控訴人 ふさよこと 加藤つぎ

控訴人 加藤征雄

右控訴人ら訴訟代理人弁護士 柏崎正一

被控訴人 さわ子こと 早川くま

右訴訟代理人弁護士 細田貞夫

主文

一  原判決を取消す。

二  被控訴人の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨。

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二当事者の主張

一  被控訴人の請求原因

1(一)  訴外樋口喜六は、もと別紙物件目録記載の建物(以下本件建物と言い、このうち現存の実測約一〇坪の部分を本件現存部分という)を所有していた。

(二)(1)  被控訴人とその長男誠一郎(一審における共同原告)は、樋口喜六に対し、本件建物につき所有権の確認を求める訴を提起し、同事件(東京地方裁判所昭和四三年(ワ)第三三三七号)の訴訟において昭和四三年一一月一五日裁判上の和解が成立し、右樋口から同和解により本件建物所有権を各二分の一宛譲受け、同年一一月二五日その旨の登記を経由した。

(2) 誠一郎は昭和四六年一一月一七日死亡したので、被控訴人はその持分を相続により取得した。

(三)  控訴人加藤つぎとその息子の控訴人加藤征雄の両名は、本件建物の現存部分を占有している。

2  被控訴人は、控訴人加藤つぎに対し、昭和三五年三月七日、金九万円を返済期限三年後の約定で貸渡した。

3  よって、被控訴人は、控訴人両名に対し、所有権に基づき本件建物の現存部分の明渡を求め、また控訴人加藤つぎに対し、前記貸金及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四四年一〇月二〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する控訴人らの認否

1  請求原因1について

右(一)の事実を認める。

同(二)の事実中、被控訴人とその長男誠一郎が樋口喜六との間で被控訴人主張の訴訟において裁判上の和解をしたこと、本件建物につき被控訴人と誠一郎に対し、被控訴人主張の日に所有権移転登記が経由されていることは認めるが、右両名が右和解により本件建物の所有権を承継取得したとの点は、争う。被控訴人が同建物に関し樋口喜六から所有権を取得したことがあるとしても、それは時効取得であり、しかもその効果は、本件現存部分に及ぶものでない。すなわち、被控訴人及び亡誠一郎は、昭和一七年六月以降本件建物につき全く所有の意思を有していない樋口喜六をわざわざ探し出して、同人に対し本件建物を時効取得した旨所有権確認の訴訟を提起し、もし樋口喜六が真実建物の所有者ならば敷地に対する借地権を有していた筈であるのに、被控訴人主張の和解においては、被控訴人らは、形式的な判こ代ともいうべき僅か金二〇万円の支払と引換えに、所有権の時効取得を認めてもらい、その結果昭和四二年五月一三日時効取得を原因とする登記を経由したものである。そして、その前提となる本件建物に対する被控訴人らの占有は、実は後記三4(一)に記載のとおり本件現存部分を除く部分のみに限局されていたものである。同(三)の事実を認める。なお後記のように、右部分は控訴人つぎの所有であり、昭和二七年一〇月中旬以来控訴人ら一家が住居として占有使用してきたものである。

2  同2の事実を否認する。控訴人つぎが金九万円を借受けたのは母あきからである。しかも控訴人つぎは、当時病気療養中であったあきの看護をすることになったことから、昭和三五年三月末頃、右あきから右債務の免除を受けた。

三  控訴人らの抗弁

1  控訴人つぎは、左記のように、本件現存部分を所有権に基づき占有しているのであり、控訴人征雄はその家族として同居している。

(一) 本件建物には樋口喜六の妻マサ子が、喜六と別居して一人で住んでいたところ、昭和一七年二月一六日頃殺害されたため、喜六は本件建物の近隣で家政婦会を経営していた早川あきに本件建物の管理を依頼し、同女はこれを承諾して夫市三郎と共に入居した。

(二) 樋口喜六は早川あきに対し同年四、五月頃、本件建物を贈与した。

(三) 早川あきは昭和三五年四月二〇日死亡し、同女の相続人である控訴人つぎ、被控訴人及び婿養子亡早川忠勝の代襲相続人の三名が共同相続し、よって控訴人つぎは本件建物につき持分三分の一の所有権を取得した。

2  仮に右1の事実が認められないとしても、

(一) 早川あきは少なくとも昭和一七年六月一日以降本件建物を所有の意思で平穏公然と占有してきたが、控訴人つぎ、同征雄ほか五名の家族は、昭和二七年一〇月中旬頃本件建物に入居し、あき夫婦と同居することになった。

(二) あき死亡後控訴人つぎは、少なくとも本件現存部分につきあきの占有を承継し、かつ同控訴人は、右時点以降占有を継続し、あきの前記占有開始のときから二〇年を経過したときもその部分を占有していた。

(三) 控訴人つぎは本訴において、本件建物につき二〇年の取得時効を援用する。

3  被控訴人は背信的悪意者に該当するから、控訴人つぎは登記なくして同人に対抗できる。

本件建物もしくはその現存部分の所有権を早川あきが樋口喜六から贈与を受けたとした場合でも、あるいは、控訴人つぎが時効取得したとする場合でも、いずれにせよ控訴人つぎと被控訴人は両名の共同相続もしくは各占有を通じて、本件建物の所有権を相続又は時効により共同して取得すべき地位にあったものであるが、被控訴人は控訴人つぎの右立場を諒知していながら、同控訴人を共同原告とせずに、樋口喜六に対し前記訴訟を提起して、被控訴人と早川誠一郎が本件建物を全部時効取得したと主張し、結局前記和解を成立させて、喜六から所有権移転登記を経由してしまった。

4  仮に、控訴人つぎが、本件建物(もしくはその現存部分)につき所有権を取得しなかったとしても、

(一) 後記六2のように、控訴人つぎと被控訴人は昭和三五年五月八日本件建物の使用方法に関する契約を締結し、この直後頃右契約に基づき、両名間で各自の使用部分を定め、控訴人つぎは本件現存部分を使有することになった。従って被控訴人は、控訴人つぎとの間で同控訴人の本件現存部分に対する占有権原を認め、かつ、そのような占有状態の承認されていた本件建物の所有権を、そのまま樋口喜六から取得したものである。

(二) 本件建物に関するあき、控訴人つぎ、被控訴人の占有の実情、右(一)記載の使用方法に関する契約の存在、及び前述したような、被控訴人が本件建物の所有名義を取得した経緯を総合すると、被控訴人が控訴人らに対し本件現存部分の明渡を請求することは、著しく信義誠実に反し、権利の濫用として許されない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1について

同(一)の事実は、樋口喜六が早川市三郎に対し、本件建物を使用させていたことは認める。同(二)の事実は否認する。同(三)の事実中、あきがその頃死亡したことは認め、控訴人つぎが本件建物につき持分三分の一の所有権を取得したことは争う。

2  同2について

同(一)の事実は自主占有の点を除いて認め、同(二)の事実は否認する。控訴人つぎの占有状態は、後述のとおりである。

3  抗弁3の事実中、控訴人つぎが本件建物所有権を、相続分又は占有部分に応じて、相続もしくは時効により取得すべき地位にあり、これを被控訴人は諒知していたから背信的悪意者に該当するとの点は否認し、その余は認める。

被控訴人は本件建物が朽廃していたので取毀して新築することを計画したが、所有名義人の承諾が必要なため、長時日を費して同人を捜し当て、右訴訟を提起したのである。そして控訴人つぎの占有は後述のように中断しており、また税金、地代を支払わず、本件建物の維持管理に全く無関心の態度であったので、右訴訟の際被控訴人代理人は、控訴人つぎを共同原告とすることは、同人の占有状態及び所有の意思に関する欠陥を突かれて、かえって不利になるという法律判断により、これを避けたのである。

4  抗弁4の(一)(二)の事実は否認する。

五  被控訴人の再抗弁

1  控訴人つぎは昭和三五年頃から昭和四二年四月頃まで本件建物を占有しておらず、また少なくとも同控訴人は昭和四一年七月一〇日頃、任意にその占有を中止した。

2  早川市三郎は、樋口喜六との間の使用貸借契約の下に本件建物に居住するに至ったのであるから、市三郎、あきの占有は自主占有ではなかった。

3  また、市三郎が昭和二八年一一月二日死亡してからは被控訴人が本件建物の公租公課及び敷地の地代を支払っており、控訴人つぎは右のような出捐をしておらず、同人には本件建物につき所有の意思がなかった。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は否認する。

控訴人つぎは昭和三五年六月頃、東京都品川区大井に簡易料理店を経営し始めたので、その頃から右店と本件建物とを往き来するようになったが、本件建物を立退いたことはなかったし、同控訴人が本件建物を留守にしたときでも、同人の家族又は店の使用人が居住していた。

2  同2及び3の事実は、市三郎死亡後、被控訴人が本件建物の公租公課及び地代を支払うようになったことは認め、その余は否認する。

早川あきが本件建物に居住するようになった事情は前記三1(一)のごとくであるが、あきは樋口喜六から昭和一七年四、五月頃本件建物の贈与を受けたものと信じ、税金及び地代を支払い、これを所有の意思をもって占有してきた。一方樋口喜六は昭和一七年六月頃以降、一切本件建物を訪れず、この状態は被控訴人が喜六に対し前記訴訟を提起するまで二六年間続いた。

そして控訴人つぎと被控訴人は、あき死亡後の昭和三五年五月八日、本件建物を二分の一ずつ分けて居住すること、及び本件建物の公租公課と敷地の地代の支払につき始めの六年間は被控訴人が、右期間経過後は両名が支払うことをそれぞれ決めたので、控訴人はあき死亡後、少なくとも本件現存部分について所有の意思をもって占有してきた。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因1の建物明渡請求について判断する。

1  まず同1(一)の事実及び(三)の事実は当事者間に争いがない。

2  次に同(二)において、被控訴人が本件建物の所有権を取得したか否かにつき検討すると、同(二)(1)の事実は、樋口喜六から被控訴人と誠一郎に対する本件建物所有権の譲渡の有無を除いて、当事者間に争いがなく、同(二)(2)の事実につき、誠一郎が一審係属中被控訴人主張の日に死亡し被控訴人がその法律上の地位を相続したことは、弁論の全趣旨(原審一五四号事件六一ないし六四丁参照)により明らかである。

そして、≪証拠省略≫によれば、被控訴人主張の訴訟上の和解調書には、「樋口は、被控訴人と誠一郎が本件建物を均等の割合で昭和四二年五月三一日時効取得したことを認め、被控訴人らが右事項を登記原因として所有権移転登記手続をすることに協力し、被控訴人らは樋口の右協力に対し金二〇万円を支払う。」旨の条項が記載されており、したがって、同和解契約中の本件建物所有権に関する条項が確認的条項であるか形式的条項であるかは別として、同和解契約により本件建物の従来の所有権者である樋口が所有権を喪失し、これに代って被控訴人及び誠一郎がその所有権を取得するという関係が、右当事者間で確定的になったことは明らかである。

3  そこで抗弁につき判断する。

(一)  贈与の主張について

早川市三郎とあきが本件建物に居住するようになった事情につき見るに、≪証拠省略≫によれば、

本件建物はもと樋口喜六の妻樋口マサ子の所有であり、マサ子は喜六と別居して一人で住んでいたが、昭和一七年二月一六日頃同女が殺害されるという事件が起り、喜六は、被控訴人及び控訴人つぎ両名の母親であるあきの経営する家政婦会に、マサ子の葬式客の接待を依頼したこと、当時喜六は東京都板橋区に別の女性と家庭を持って子供を儲け、右別居状態は一〇年程続いており、また本件建物の附近にマサ子の兄が住んでいたこともあって、喜六自身は本件建物に住む気持がなかったこと、右葬式の際マサ子の身内として集まった二名の兄からも、同女の遺産について何の話もなく、喜六が本件建物を自分のものとして自由に取仕切ってもよい立場にあったので、右事件から一〇日ばかり後に、喜六は早川夫婦に対し、本件建物の管理を依頼し、同人らはこれを承諾したことが認められる。

ところで、控訴人らは、早川あきが喜六から昭和一七年四、五月頃本件建物を贈与されたと主張し、前掲控訴本人つぎの供述にはこれに沿う部分があるが、右供述は前出各証拠に照らしてたやすく信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠がない。

従ってその余の点について触れるまでもなく、右抗弁は採用できない。

(二)  時効取得の主張について

(1) 抗弁2(一)の事実は、あきの占有が自主占有であるとの点を除き、当事者間に争いがなく、同(三)の事実は記録上明らかである。

(2) そこで、右あきの占有の態様が、自主占有であるかどうかについて検討すると、

≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

早川市三郎、あきの夫婦が前示認定の経緯で本件建物に入居した際、樋口喜六との間には本件建物に課せられるべき公租公課及び敷地の地代の支払に関して何の取決めもなく、租税は同人らにおいて樋口マサ子の名で納税したほか、同人らにおいて右費用をすべて出捐し、かつ今迄自分らが居住していた家屋は、これを他人に貸してしまった。こうして早川夫婦は空襲下に本件建物の管理を継続して終戦を迎えたが、その間樋口喜六からは何の音沙汰も無く、同人の所在も不明であり、同人らは、樋口喜六が前記のような事情で本件建物に住む心算のないことを知っていたので、昭和二一年一一月頃より、本件建物は喜六から同人らが贈与されたものであり、少くとも、喜六に対して返還することを要しなくなり自分らの所有として差支えのないものとなったものであると考えるに至り、自分達のものとして住むことに決めて自己所有の貸家の売却を始め、やがて何軒かの貸家を全部処分した。それなるが故に、またあきは、昭和三〇年頃から昭和三五年頃にかけて病気勝ちであったが、自分の看病をしてくれた孫の甚子(控訴人つぎの娘)を可愛がり、同人に対し、同人の教育費を捻出するために本件建物内の応接間を贈与すると言って、本件建物の所有者として振舞い、また控訴人つぎや被控訴人は本件建物に関する前記事情をあきから聞かされていたので、同控訴人らは当時本件建物はあきのものと思っていた。そしてあき死亡後、昭和三五年五月八日、あきの実家で本件建物の取扱について協議がなされて契約書(乙第一号証)が作成され、その結果控訴人つぎと被控訴人が本件建物を自分らのものとし、利用上これを二つに区分したうえ居住するようになったのであるが、そのときあきが甚子に応接間を贈与すると言っていたことが問題になり、結局被控訴人が応接間を使うかわりに、被控訴人が甚子に対し、藤田実を介して、教育費の名目で毎月金一五〇〇円宛甚子の高校卒業まで六年間支払い、且つ右時点より六年間は被控訴人が税金及び地代を支払うこと、六年経過後は被控訴人と控訴人つぎの両名が税金及び地代を支払うことがそれぞれ定められた。この後、被控訴人は甚子に対し、四ヶ月分の右支払を履行したが、それからは甚子に金員の支払をせず、ただ税金及び地代は、やはり樋口マサ子の名で被控訴人が継続して納めた。昭和三八年になって誠一郎は本件建物の敷地を買受け、更に被控訴人は昭和四二年頃から自己らの居住部分を取毀して新築することを計画したが、このとき樋口マサ子の相続人である喜六の承諾が必要であると人から聞いたために同人の捜索を開始した。数ヶ月後偶然のことから右喜六の住所が分り、昭和四三年四月、前記のように被控訴人と誠一郎は右喜六に対し所有権確認請求訴訟を提起したのであるが、右訴訟において被控訴人と誠一郎は、「同人らが本件建物を自主占有していたので、昭和二二年五月頃から二〇年の経過により、あるいは市三郎死亡のとき善意無過失であったのでこれより一〇年の経過により、いずれにせよこれを時効取得した」と主張した。これに対し樋口喜六は、本件建物を未登記のまま放置し、昭和一七年以来同所を訪れたこともなく、その後も早川夫婦が住み続けているのかどうか、及び現在誰が住んでいるのか等について気にも留めず、戦後財産税を支払わねばならなかったときも本件建物の処分を考えず、右訴訟が提起されるまでの約二六年間本件建物のことはおよそ念頭になかった。そして右訴訟に応訴するに当っても、敗訴するのではないかと思い、本件建物に関する事実関係を詳しく調査せずに、同人の弁護士に対しなるべく和解にするよう頼んだ。こうして前記のように裁判上の和解が成立し、その和解条項には、被控訴人と誠一郎が、昭和四二年五月三一日本件建物を均等の割合で時効取得したことを樋口喜六が認める旨掲げられることになったのであるが、右喜六が右和解により取得した金員は、弁護士費用を差引くと金一〇万円以下という低額なものであった。

右事実並びに前認定の諸事実によれば、昭和一七年の当初は樋口喜六も早川市三郎夫婦も、同人らが本件建物に居住する方法によってこれを管理するということで意思の一致を見ており、その関係は建物使用の点では使用貸借と見られるが、市三郎夫婦は遅くとも、被控訴人が前記和解の条項中に採り入れることとした時期より二〇年前の昭和二二年六月一日以降所有の意思をもってその占有を開始したものであり、一方樋口喜六もその当時には既に本件建物の返還を請求する意思を捨てており、また市三郎夫婦が本件建物の税金、地代を納め続けているにも拘らず、右喜六の所在は不明で何の連絡もなかったのであるから、この場合所有者のこのような態度は、反面占有者をして所有の意思を抱かせてもやむを得ない客観的情勢を自ら作出したものであり、したがっていわば新権原の付与に準じて、この場合市三郎夫婦が樋口喜六に対し、所有の意思あることを特別に表示しなくとも、右時点より市三郎夫婦両名の占有は自主占有に変更されたと認めるのが相当である。

(3) 次に、右市三郎夫婦はその後順次死亡するに至るので、その占有の継続ならびに承継関係、更にまた控訴人つぎの占有の態様を検討すると、

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

被控訴人の一家は終戦後一時本件建物に早川市三郎夫婦と同居していたが、昭和二三年半ば頃市三郎からその所有家屋の一を買受けてそちらへ移り住んだ。昭和二六年一〇月頃、控訴人つぎ、同征雄の家族七名が本件建物で市三郎やあきと同居するようになり、又被控訴人の家族も、市三郎が死亡した翌年の昭和二九年五月頃、右居住家屋を売払い、本件建物のうち別紙図面記載の一〇畳の間に入居した。そこで控訴人らの家族はほぼ本件現存部分に住むことになり、この現存部分と右一〇畳の部屋の境にはベニヤ板が張られた。ところで本件建物内の別紙図面記載の応接間にはあきと控訴人つぎの娘甚子が一緒に住んでいたが、あきは病気のため、昭和三〇年三月頃から昭和三五年四月に死亡するまでの間千葉県安房郡千倉町の実家で静養していることが多かったので、あきの留守中は、被控訴人が前記応接間と一〇畳間と、応接間の庭先に増築した二階家を使用した。本件現存部分には控訴人つぎの家族が引続き居住しており、ただ被控訴人側は、右現存部分内の、別紙図面で風呂場と記載された部分を勉強部屋に使用していた。そしてあきが昭和三五年四月二〇日死亡した後の同年五月八日、あきの実家で被控訴人、控訴人つぎ及び親戚数名の間で本件建物に関する話合いが持たれ、ここで被控訴人と控訴人つぎが本件建物を右両名のものとして仲良く同居することが約され、結局それまでの居住状況に照らし、控訴人つぎが本件現存部分に、被控訴人がその余の部分にと区分して住むようになり、前記応接間と本件現存部分との境にもベニヤ板が張られ、右二区画は完全に仕切られた状態で、それぞれ使用されるようになった。≪証拠判断省略≫

右事実によれば、本件建物は、昭和一七年当時より市三郎が死亡するまでは、市三郎とあきの共同占有に、市三郎死亡後はあきの占有に属していたが、あき死亡後は被控訴人と控訴人つぎがその占有を承継して、共同占有を開始したのであり、右両名はこれが利用方法を合意して事実上二分して各自の使用に委ねていたものであると認めるのが相当である。

そして控訴人つぎは被控訴人と共に相続により、あきの自主占有を承継し、且つ本件建物は右両名の共有になったものとして、以後昭和四二年五月末日を経過するまで、あきの占有と併せて二〇年間いずれもこれを自主占有していたと解すべきである。

≪証拠省略≫のうち右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして措信し難く、他にこれを左右すべき証拠もない(なお前出乙第一号証中、本件建物を「樋口マサ子所有家屋」と示した文言については、前掲藤田実の証言によると、これは右藤田が宇山五郎の案に従って、そのまま記載したものであることが認められ、控訴人つぎが右書面の作成された場に同席していたとの一事をもって、同控訴人の所有の意思の欠缺を導くことはできない)。

(4) 以上のとおり、控訴人つぎの本件建物に対する占有は継続していたと認められるのであるが、被控訴人は再抗弁において右占有に中断があったことを主張しているので、この点を更に詳しく述べれば次のとおりである。

≪証拠省略≫を総合すると、控訴人つぎは昭和三五年春頃東京都品川区大井の旧のんべい横町の飲食店で働いており、同年六月頃からは右品川区大井で簡易料理店を営むことになり、同年春以降は勤務先の店に度度泊り込むことがあったこと、その頃本件建物内には控訴人征雄、控訴人つぎの娘甚子の家族が住んでいたこと、昭和三六年四月頃控訴人つぎの長男加藤伸彦が妻とここに住むようになったため、控訴人つぎはやがて前記簡易料理店の二階に移り、昭和三八年三月頃から昭和四〇年二月頃までは品川区大井の池田ゆき子方に間借し、その後も他のアパートを借りる等していたこと、一方伸彦は妻と離婚したのでこの家を出ることになり、代って昭和四〇年六月頃から控訴人つぎの店の店員工藤武雄が住込として入り、昭和四二年四月頃店をやめるまでいたが、同月頃から控訴人つぎが本件建物に戻り居住することになったこと、控訴人つぎが本件建物に住んでいなかった昭和三六年四月頃から昭和四二年四月頃までの間、同人の家財道具はすべて本件建物内にあり、また電気、ガス、水道の諸費用は伸彦が支払っていたことがそれぞれ認められる。

≪証拠判断省略≫

右事実によれば、控訴人つぎは前記あきの占有を承継してより、本件建物に居住していなかった右期間中においても、同控訴人の家族又は店の住込店員によってこれを代理占有していたものと見るのが相当である。なお、≪証拠省略≫によれば控訴人つぎの住民票は昭和四一年七月一〇日職権消除されているのが認められるけれども、右書証と原審における控訴人つぎの本人尋問の結果によれば、これに気付いた同控訴人の申立により、同人の住民票は昭和四二年四月二八日、職権消除事項を消除の上回復されていることが認められるから、このような住民登録上の変動は、前記認定判断を左右するに足るものではない。

(5) 以上のとおり被控訴人主張の再抗弁は、すべて成り立たないから、結局控訴人つぎは被控訴人と共に、本件建物の所有権を持分各二分の一の割合で時効取得したと言うべきである。

(三)  ところが、被控訴人が本件建物につき所有権移転登記を経由していることは前記のとおりであるから、この点につき検討する。

≪証拠省略≫によれば、前述のようにあき死亡後、控訴人つぎと被控訴人は本件建物内に居住していたのであるが、これより殆んど日常の交渉がないままに時が経ち、誠一郎が昭和三八年に本件建物の敷地を買受けた際も、被控訴人と誠一郎が樋口喜六に対し前記訴訟を提起したときも、いずれも控訴人つぎに秘して同人らのみで事を進め、和解成立により本件建物全体につき所有権移転登記を経由した後、始めて同控訴人に対し内容証明郵便により右事情を通知したこと、被控訴人は昭和四四年三月頃自己らの居住部分を自己の意思のみにしたがって取毀して新築を開始したが、右建築中の同年六月本訴を提起したことが認められる。

右事実、並びに本件建物の使用状態、本件建物の税金や敷地の地代支払に関する取決め等前認定の諸事実によれば、被控訴人は、誠一郎と共に樋口喜六から本件建物につき持分各二分の一の所有権移転登記を経由する際、控訴人つぎが樋口喜六に対し、少なくとも被控訴人と同様の立場で本件建物の所有権(共有権)を時効取得した旨主張できることを承知しており、且つ被控訴人と同控訴人は本件建物につき、互に協力してその共有登記を求め得る共有者としての地位にあったにも拘らず、被控訴人は同控訴人の未登記に乗じ、被控訴人の前記新築計画に伴ない、同控訴人ら居住部分の明渡をも得んと企図して、被控訴人と誠一郎で本件建物の登記名義を取得してしまったものと認めるのが相当である。

ところで前認定のような控訴人つぎ及び被控訴人の居住の経過に照らすと、同控訴人が元来未登記であった本件建物の登記名義の取得につき考慮を払わなかったのも、強ち責めることはできない。

以上の認定によれば、被控訴人と控訴人つぎとは、両名ともそれぞれ本件建物につき、相互に自ら直接占有する部分と相手方を介して占有する間接占有部分とを有し、その両者の占有が相俟って一個の建物の全体につき、共有的制約をうけながらも、一個の所有権の時効取得をした一方当事者同志であり、しかも被控訴人と樋口喜六間の訴訟上の和解における本件建物の帰属に関する合意部分は、権利確認的性質のものであって、形成的(権利移転的)性質のものではないと解すべきであるから、被控訴人は控訴人つぎの時効による所有権取得につき、正当な取引関係に立つ第三者であるとはいえない。

仮りに、被控訴人が右物権の変動につき第三者に該るものであるとしても、

以上認定の事実によれば、被控訴人は控訴人つぎに対しその登記の欠缺を主張できる正当の利益を有しない背信的悪意者に該当すると解するのが相当である。

したがって、控訴人つぎは、本件現存部分につき所有権(共有権)者として、また控訴人征雄は、その家族として、いずれも本件現存部分に居住してこれを使用する権原を有し、またはその権原を援用できるものであるといわなければならない。

(四)  以上認定した諸事実に対し、法規の適用ないしその解釈の点において、仮に別異の見解が成り立つ余地があるとしても、前示認定の当事者間の身分関係、長年月にわたる本件建物占有の実情、当事者間における本件建物使用方法に関する約定の存在、前主から所有権取得の経緯等認定にかかる諸般の事実を総合すれば、被控訴人が控訴人らに対し、所有権に基づき今直ちに明渡を請求することは、権利の濫用として許されるべきところでない。

二  貸金請求について。

宇山五郎及び控訴人つぎ各作成部分につき、原審の鑑定の結果により各指印部分が同人ら自身によるものであることが認められるので、同人ら作成部分は真正に成立したものと認められる甲第一三号証(但し、植木あさ関係部分の成立は疑わしく、また後記のように「早川さわ子殿」との記載部分を除く)、原審証人宇山五郎の証言によってその成立を認め得る乙第四号証、原審証人宇山五郎、同植木俊一、当審証人植木あさ、同宇山きみの各証言、原審における、控訴人つぎ(第一回)の本人尋問の結果、原審及び当審における被控訴人の本人尋問の結果の一部によれば、次の事実が認められる。

控訴人つぎはあきに対し昭和三五年三月頃、飲食業経営のため金一〇万円の借金の申込をしたが、これについてあきは実家の附近に住んでいた妹の植木あさに対し、早川家の田地を担保とすることにして、金員の借用を依頼し、同月七日頃植木あさ、その息子の植木俊一の許を、控訴人つぎ、被控訴人及び誠一郎を連れて訪れた。そこで、俊一はあきに対し金一二万円を期間は三ヶ年の約定で貸渡すことにし、内金九万円を控訴人つぎに、内金三万円を被控訴人に手渡したが、このとき俊一とあきとの間では、金利の代りに市三郎とあき名義の田地を俊一が耕す旨の「ありあい」と呼ばれる約束がなされた。右金員借受の際、あきは、借用証を被控訴人と誠一郎に同人らの名前で書かせて俊一に対し入れさせ、またそこに居合せた者達の間では、控訴人つぎのあきに対する返済方法としては、毎月金三〇〇〇円宛被控訴人に渡し、被控訴人がこれを当時実家に隠居していたあきに送金するという定めをした。このほか前出甲第一三号証の借用証と題する書面も作成されたが、もとは「早川さわ子殿」という部分は記載されていなかった。

同年四月初旬あきの病気が重くなり、あきの実家に被控訴人、控訴人つぎ、植木あさ、俊一、宇山五郎らの親戚が集まったとき、あきの世話を控訴人つぎがする代りに、金九万円を同控訴人はあきに対し返済しなくてもよいことになって、皆がこれを了承した。この後俊一に対し金一二万円は未だ返済されておらず、従って俊一は前記田地の耕作を続けている。

≪証拠判断省略≫

右事実によれば、控訴人つぎはあきから金九万円を借受け、あきは俊一より右金員を貸渡されたものであり、被控訴人と控訴人つぎとの間には何らの貸借関係がなく、ただ返済の便宜から、同控訴人は被控訴人を介してあきに返済することが、当初予定されていたにすぎないことが明らかであって、右貸金請求もまた理由がない。

三  以上のとおり、被控訴人の本訴請求はいずれも理由がなく失当であり、棄却されるべきであるところ、原判決は、被控訴人の右各請求をすべて認容し相当でないから、これを取消して各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡山宏 裁判官 野崎薫子 裁判長裁判官安井章は転補につき署名押印することができない。裁判官 岡山宏)

〈以下省略〉

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